よく締まった、高取焼の茶入れとなっています。
●作 者:高取 喜恵作(福岡)
●サイズ:口径3.4cm×高さ7cm
● 箱 :木箱入り(桐)
●仕 服:市松宝
※こちらの商品は現品限りです。
★商品説明★
茶入を得意とされていて、そのとおりよく出来た茶入です。
締まりもよく、釉薬の流れもいい景色になっています。
蓋は、牙蓋になっています。
☆高取 喜恵☆
昭和 9年 福岡に生まれる
高取焼13代高取八仙妻
夫の八仙師に師事。
唐物に似た、薄作りの茶入を得意とする。
☆高 取 焼☆
高取焼は、江戸文化のにない手であり、茶人大名でありました黒田如水、小堀遠州らが
九州の風土の中で育てあげた茶陶窯で、 遠州七窯の一つとして、又筑前黒田藩の
御用窯として知られています。焼物戦争とまで云われた豊臣秀吉の朝鮮進攻、文禄、
慶長の役後朝鮮から多くの陶工が渡来し、長州には萩、肥前では唐津、
そして筑前には高取焼が誕生。 爾来、数々の名物、名器を生み出し、日本の茶道文化の
中で脈々と息づき、「筑前に高取あり」と謳い茶道の道具として高取焼が受け継がれて
参りました。 開窯は黒田長政公が慶長五年(1600年)に筑前の国主となって以後のことで、
長政公に従って朝鮮の地より渡来せし名工、八山(和名=八蔵重貞)が開祖であります。
永満寺宅間に開窯し、其の後、内ヶ磯、上山田の唐人谷、飯塚の白旗山
(寛永七年=1630年)に移り、家伝の秘法に益々磨きをかけて参りましたが、
承応三年(1654年) に此の地で歿しました。此の間、黒田二代藩主忠之は、
八蔵父子を小堀遠州の許に遣わし、綺麗寂び、と云う茶道の新思想、遠州好みの作風を
学ばせるなど、より高度な茶道の育成に努めました。 内ヶ磯から白旗山の時代が
遠州高取時代と呼ばれているのはこの為で、中興名物の茶入「染川」「秋の夜」をはじめ
幾多の名品が創られたのもこの時期であります。その後、寛文五年(1665年)に
小石原鼓窯が開かれ、四年後の寛文九年には、白旗山を守っていた初代八蔵の
孫八之丞も小石原中野(現在の小石原皿山)に移窯、小石原高取時代が幕を明けます。
中野の窯は一度も火を絶やす事なく、皿山の山中に其の家伝を守り続けて
今日に至っております。小石原高取時代は、遠州高取の、綺麗寂び、の芸風を完成させ、
さらに発展させ、極めて多彩な作品が生み出されました。現在私の窯での主な焼物は、
土味を活かし、茶入、水指、茶碗、建水、花入、菓子器、向付などに、自家調整の
釉薬をかけて、調整しております。釉の代表的なものしては、
高取黄釉、白釉、春慶釉、高宮釉、道化釉、真黒釉、緑青釉、ふらし釉、その他に
特有の並黒(飴釉)などがあります。此の様な高取特有の伝統的技法は、
黒田藩最後の御用陶工でありました第十代高取安之丞(重宣)翁の遺志を、
私の祖父にあたる第十一代高取八扇 (佐七)が承継し、母と私とに伝えて
呉れたものであります。私はこれを現代に活かすべく、
微力ながら日夜研鑚に努めております。
皆様の御鞭撻と御愛顧を切にお願い申し上げます。